春日山神社
宮司 風間 常樹彦さま
NPO法人越後まほろば俱楽部の発足誠におめでとうございます。上杉謙信公の居城である春日山城が多くの皆様のご尽力でこのような活動が展開されますこと有難く感謝申し上げます。
ご縁をいただき7年前に春日山神社の宮司を拝命しました。山麓の春日神社で育った私は幼い頃より春日山は遊び場でした。古道から廓跡の平らな所など駆けずり回った思い出が走馬灯のように浮かんできます。
年間30万人の方々が謙信公の遺徳を偲び訪れる春日山。来られた観光客は往時の姿、空気を感じながら日本海から頚城平野と山々を眺め風光明媚な春日山城を感じていただくことが大切であると境内整備に精進しています。
NPO法人越後まほろば俱楽部の活動が今後春日山城を取巻く諸事業の一翼を担っていただくことを願ってやみません。
高田本町一丁目 春日神社
宮司 大島 美香さま
越後まほろば倶楽部に期待
春日山城は、戦国時代に北陸地方を治めた謙信公の居城、また天然の要塞といわれ日本の百名城に数えられています。自然に恵まれ「海の幸・山の幸」等が豊富で食も魅力に溢れ、文化・物流が栄えていました。現在も同様ですね。
地元民のみならず、国内・海外の皆様に愛される地域を目指して、一層魅力的な春日山となるよう動き始められております「越後まほろば倶楽部」のご活躍を期待しております。
高田本町春日神社に残る謙信公発願「御剣祭南方山(謙信公由来の龍旗を捧持し、妙高山に代参登山する450年以上続く謙信公の意を汲む行事)」もその一助となれば幸いです。
衆議院議員
髙鳥 修一さま
NPO法人「越後まほろば倶楽部」の設立、誠におめでとうございます。
私が2022年8月、理事長の志賀茂さんから「越後まほろば倶楽部」を設立したいとの話を受けた際、志賀さんは、「『越後まほろば倶楽部』の原点は、髙鳥先生が私を文化庁に連れて行ってくださった5年前に遡ります」と仰ってくださいました。
ご存知のとおり、春日山城跡を中心とした地域活性化は春日山地域だけでなく上越市民の願いです。しかし、春日山城跡は国の史跡に認定されているため、文化財保護法によって現状変更はできず、地域の人々の中でも「何をやっても無理だ」という諦めムードがあったとき、志賀さんは文化庁の担当者から「文化財保護法の運用が改正され、春日山城跡の現状変更禁止の制限も緩和される余地がある」との話を聞き、希望の光を見付けたそうです。
その後の志賀さんの活動は、大変、意欲的、積極的であり、多くの方々が志賀さんの熱い思いに賛同して、「越後まほろば倶楽部」の立上げとNPO法人格の認証に尽力されました。「越後まほろば倶楽部」を応援される全ての方々に改めて、敬意と感謝の気持ちを表するものです。
2023年7月には、観光庁が、「将来にわたって旅行者を惹きつける地域・日本の新たなレガシー形成」事業に、上越市が応募した「春日山城の復元」を採択しました。春日山城の復元は即座に実現できるものではありませんが、せっかく国(国土交通省、観光庁)が春日山城は世界に誇れる観光資源であると認めてくれたのですから、上越市、関係団体、地域の住民の方々が一丸となって、春日山城の復元の機運を高めていかなければならないと思います。私も文化庁とのやり取りに関わって参ります。
2030年の上杉謙信公生誕500周年の節目に向けて、チャンスを逃さず前進していきましょう。「越後まほろば倶楽部」の活動に大いに期待しています。
なお、私は、選挙区が変更となり、従来の旧・新潟6区(上越市・糸魚川市・妙高市・十日町市・津南町)に、魚沼市、南魚沼市、湯沢町が加わり、新潟県の面積の約4割を占める広大な選挙区、新・新潟5区を任されることとなりました。そこで南魚沼市を回った際、上杉謙信公の姉の仙桃院が嫁がれた「坂戸城」と、(仙桃院がお産みになられ、謙信公の養子となられる)上杉景勝公と直江兼続公が幼少の頃、勉学に勤しんだ曹洞宗の名刹「雲洞庵」を訪問し、上越市の「春日山城」と南魚沼市「坂戸城」との交流の歴史を学ぶことができました。私は、かつて盛んだった、「春日山城」を起点とした人の交流を復活させたいと思っております。そのため、上越市と南魚沼市の自治体間の交流を促進させたいと考えておりますし、上越市と南魚沼市を結ぶ上越魚沼地域振興快速道路(通称:上沼道)についても、まさに「謙信公ロード」と言える日本海側の重要なルートであるので、一日も早い供用開始を目指して参る所存です。
春日山城跡保存整備促進協議会
会長 倉石義行さま
越後まほろば倶楽部におかれましては、NPO法人の認証を得て登記も無事に完了され、目的に向けた各種事業が本格的に開始されましたことにつきまして心からのお祝いを申し上げます。
この間の大変なご苦労と情熱を持って法人化にご尽力された志賀理事長はじめ、関係された多くの皆様方に心からの敬意を表するものであります。
又、この度は越後まほろば俱楽部のウエブサイトを開設されました。このことにつきましても越後まほろば俱楽部の活動を広くアピールする為にも大変意義のある事であると思います。
さて、越後のまほろばの中心地としている春日山は、上杉謙信公の居城である「春日山城」であります。上杉謙信公につきましては、4年後の2027年は、没後450年、そして6年後の2030年には生誕500年という記念すべき節目の年を迎えます。その節目の年に向けて、全国から大勢の人たちが春日山を訪れることと思いますが、越後まほろば倶楽部の活動の成果がこの機に実を結ぶ事を記念しているものでもあります。
春日山城跡を訪れる多くの人たちに対して、各種の活動事業を計画し、人々の交流による賑わいのある春日山城跡になることを目指す、越後まほろば俱楽部の皆様方の取り組みにご期待をしたいと思います。
又、「真のまほろば」を目指しての越後まほろば俱楽部の活動が大きな役割を果たすものとご期待しているところであります。
NPO法人越後まほろば倶楽部
名誉顧問 植木 宏さま
春日山の整備保存にNPO法人越後まほろば俱楽部に期待するもの
かつて戦国時代の昔「越後に上杉・春日山城あり」と諸国から注目されたように、当時の越後の歴史は春日山城を中心に展開されていました。全国的にも山城のトップを走る春日山城は今どうでしょうか?
廃城後400年余りが過ぎた今、私たちの目に収まる春日山城の姿は、廃城直前の縄張りから、さらに近現代の道路改修や農作地への転換、自然崩壊も加わってかなり変形しているものと考えられますが、しかし、まだまだ土塁や空堀、屋敷地など、山城としての基本的な遺構を各所に留めております。それは、いにしえ人たちが命を懸けて作り上げた「城郭文化」を今、私たちに訴えているような叫び声にも聞こえるのです。
春日山城は、昭和10年8月、国の文化財に史跡として指定され、行政の手により年々整備されておりますが、何しろ広大な城地と山城のため、目に見える史跡にするには時間もかかり、地元民の応援も必要でしょう。更に欲を言えば、謙信公の信仰の心を表現出来ないか、頚城地方に分布する支城郡との連携は出来ないか、更に当時人口6万といわれた城下町の調査なども考えられます。
近年、春日山城跡保存整備にかかる市民団体も発足し、積極的に活動を継続して来ました。
やはり春日山の整備は、官民一体となって体当たりしなければと考えます。
このような自然的・社会的な環境の中で、今年3月6日NPO法人越後まほろば俱楽部(理事長・志賀茂)が設立され、上越地方の観光振興・子供たちの総合学習の場の提供を目的とした、中でも最重点取組として春日山を核とした総合的な史跡公園を目標に旗揚げされました。
まほろばとは、素晴らしい場所。人の住みやすい場所の意味があり、まさに春日山を核とした「くびき野」がまほろばに当たるということです。史跡春日山をより多角的に生かし、更なる交流人口を増やしたいとの熱意に対し、同倶楽部の活動に大なる期待が持たれます。今の私たちに何が出来るのか、何をすれば良いのかを摸索して欲しいと思います。
追伸
春日山城内の整備では、まず妙正寺山砦とその周辺を手掛けてください。この砦は春日山城前面から本丸を望む最も近い要所にあり、遺構も残り重要な砦でした。見学者には春日山城を理解する格好の場所になるでしょう。
令和5年6月28日記
小林 新治さま
春日は国(越後)のまほろば
大和は国のまほろば 畳(たた)なづく 青垣 山籠れる 大和し麗し
~倭健命が己の故郷を賛美したこの歌に私は高校時代に出会い大変感動しました。
以来、この歌詞の「大和」を「春日」に置き換え、海と垣根のような山々に囲まれた頚城野(春日)はなんと素晴らしい場所だろうかと秘かに、そして誇らしく思い続けてきました。
そんな折、何気ない志賀茂さんとの談笑の中で、私が「まほろば」という言葉を出したとき、この言葉が志賀茂さんの心の琴線に触れたようです。というのは志賀さんが構想し、心に温めていた「謙信公の聖地を育む」ことを目的とした、NPO法人のネーミングと構想の見通しの起爆剤の一つになったのではないか、と後で感じました。
発足して間もない、NPO法人越後まほろば俱楽部ですが、志賀茂さんを中軸に皆さんの周到な計画と実行力に深い敬意を表します。